物語 ~今を大切に~

一本の電話

ちょうど秋の色が見え始めた頃、一本の電話がかかってきました。
それは親が病気になったとのこと。
そんなに心配はしていなかったものの、有休を使って久しぶりに故郷に帰ったことを思い出しました。
故郷はなんとも変わらず私を受け入れてくれて、上京前の思い出が走馬燈のように目の前を過ぎていきました。上京というくらいなので、田舎の町に住んでいた私は、なんでもいいから東京に出たいなという一心で、受験勉強をし東京の大学へ。そんなに高学歴な大学ではなかったけれど、大学の仲間に恵まれたり、部活動の先輩にも恵まれて、今でいう「キャンパスライフ」なるものを過ごせてよかったと思う。
当時はもちろん携帯電話もなく、流行ったののはピッチ。年齢がなんとなくばれてしまうのが否めないが、簡易的な連絡手段としてはそんなものがあった。あとは今は激減したっけれども、電話ボックスから電話をかけるとか、今では考えられないくらいアナログな世界だったなと思う。
そのピッチを親はもちろん持っていることもなく、別に私もアパートに電話を置くこともなく、ほぼ連絡せずに毎日を過ごしていた。年末年始も大学の友達と過ごしている方が楽しかったし、地元の友達も東京に出てきたりして、故郷の帰ることはなかった。
そして社会人になり、無難に就職し、入社から少し経ったときのことだった。会社に一本の電話が入ってきた。親からだった。一応就職が決まった時に全く故郷に帰ってなかったし、報告という意味でも帰った時に就職先は伝えていた。

一緒に飲んだコーヒー

初めての有休を使い、故郷に。家につき、どうしたん?と言いたかったけど、言えない状況だった。父親が横たわってピクリともしていない状態だった。頭の中が?マークでいっぱいで、言葉にならないとはこのことかと思った。少し時間が流れてから、母親が話始めた。
「4か月前にがんと宣告されて、検査をしたんやけど、もう手遅れの状態らしくて。抗がん剤をしてもほぼ効果はないと。通院もこんなど田舎だしお父さんもしんどいやろうなって。お父さんに相談したんよ。どうする?って。ほんなら「もうかまへんよ。家で過ごしたいわ」って。」
「あんたにも言っておこかっていうたら、絶対に連絡するなってなあ。忙しいねんからこっちに気使ってる場合ちゃうねんって言うてたわ。」
ものすごく後悔した。私は別に忙しくて連絡しなかったわけではない。そして就職活動が落ち着いてに帰ってきたとき、仕事頑張るわと伝えたけれど、時間なんていくらでも作れた。一言にこんなに後悔した覚えはない。
しかし、思い返してみると、一度帰省した時に何十年振りか、父親と二人で少し遠出して語り合ったことがあった。車で30分くらい走らせたところにある、なんともない喫茶店だった。そこは自分が小さい頃に連れて行ってもらっていたお店だ。馴染みのマスターがいて、お客さんも何組しかいないけど、すごく暖かい空間。そこでコーヒーを飲みながら男二人でなんともない話をした。
それがもしかしたら、父親はもう病気に対しての覚悟を決めていたんじゃないかと思い返すとそう思う。もうっ体が動くうちに、口がきけるうちに、いろんな話をしておきたいからこの喫茶店にきたのかなと。
もう何十年前の話になる。その喫茶店もマスターが年で続けられずに閉めてしまったと、母親から聞いた。今は孫もできて、母親も携帯を持ち始めしょっちゅう連絡が来る。なんやねんと思いつつも、連絡が来るたびに少し安心できている自分がいる。そして、実家に帰るときの差し入れはいつもコーヒー豆。母親と飲む一杯は良いもので飲みたいと思い、東京でおいしいといわれるコーヒー豆を買って帰る。そうして飲んでいると、となりに父親も一緒に座って飲んでいる気がして、落ち着いて過ごすことができる。